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住職メッセージ 

第十八代聖福寺住職 横山秀道 ご挨拶

​この度、当山第十七代田谷昌弘禅師の寂(令和五年十一月五日)にともない私、

諫早 性空寺住職 横山秀道が当山第十八代の法燈を兼務継承致すことと相成りました。(令和五年十一月二十九日就任)

聖福寺重要文化財四棟の十年にわたる修復事業、令和六年の三月から四年目に突入します。​近隣の和尚様方の御協力をあおぎ、総掛りで再建復興の完遂を目指す所存であります。

つきましては、檀信徒各位、さらに多くの有縁の皆様方には、此の度もまた出費御多端の折、誠に恐縮に存じますが、重ね重ね、浄財の御寄進を御願いしたく、

とりあえず書面をもってご挨拶申し上げます。

文末となりましたが、聖福寺保存会、修復協力会、修理委員会、金剛組、

文化財建造物保存協会、国・県・長崎市の関係者の皆様方には、前住職のときと

同様、今後とも格別の御支援、御指導を賜りますようお願い申し上げます。

​令和六年二月吉日

長崎市 万寿山聖福寺住職  横山秀道

霊源院住職  松本普成

福済寺住職  三浦秀元     

興福寺住職  松尾法道 

崇福寺住職 薬師寺崇玄

佐賀市    大興寺住職  田中浩樹

第十七代聖福寺住職 故 田谷昌弘禅師 御生前のご挨拶

日頃より万寿山聖福寺への御支援・ご協力を賜りまして誠に感謝申し上げます。

江戸時代に創建した万寿山聖福寺は当初から信者・縁者からの寄進により建立された寺院であります。幕末までは鍋島藩や長崎奉行をはじめとする町役人や唐人並びに唐通事から寄進を受けてきた経緯にて維持されてきた聖福寺でしたが維新後にそれらの寄進が無くなり、檀家も無いようなもので宝物を切り売りする様になり昭和初期には住職不在の時期があった為に一気に伽藍の痛みが激しくなったようです。

その荒れた聖福寺に昭和16年に本山より派遣されて来たのが15代住職になる田谷黙雷師、私の祖父にあたる人になります。そしてそこから伽藍修復の悲願が生まれるのであります。しかしながら黙雷師は原爆に遭い数年間寝たきりとなり時間だけが過ぎてゆく始末。やっとの事で体調が回復し支援者も時の市長や地元有力者の支援を受けましたが、部分的な修復にとどまり、跡を継いだ第16代良忠師も修復を志すも支援者の世代交代により経済的な支援を得られず修復は頓挫し、今回やっと大規模な4棟修復事業が始まりました。

親子三代の悲願と綺麗な言葉で片付けてしまいがちですが、始まった理由が倒壊の恐れから事業を始めなければならないという切羽詰まった状況での事でした。

今まで多くの方々から多くの御支援を頂いてきましたが、まだまだ修復の資金に余裕はなくてもっともっと多くの方々に万寿山聖福寺を見知って頂きまして益々の御支援を賜る事を切にお願いしたいと思います。何卒、宜しくお願い申し上げます。

      合掌

      長崎万寿山聖福寺

      第十七代住職 故 田谷昌弘

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